エピソード解析

ワイルド7の「十字路」〜コンクリート・ゲリラ編

望月先生はあるインタビューで「ワイルドのメンバーは1年かけて殺すつもりだった」と語られている。「1年かけて」とはどういう意味だろう。いつの時点からの「1年」なのか?

初の殉職者が出た「コンクリート・ゲリラ編」は連載開始から既に1年と少しが経過しているから、「連載開始から1年」という意味ではない。とすると、「ワイルド7というチームが完成してから1年」と解釈するのが妥当だと思う。先に書いたように「コンクリート・ゲリラ編」の前の「誘拐の掟編」でチームとしてのワイルド7は完成したから、この「コンクリート・ゲリラ編」から「ワイルドを消していく1年」をスタートさせる構想だったのだと思う。

しかし、ワイルドは消えなかった。それはワイルドが今も消えていないのと同じ理由、つまり「読者がそれを熱望している」からである。チャーシューと世界の殉職に対して読者から抗議が殺到し、先生はワイルドが作者だけのものでなくなっていることに気付かれたそうだ。

もし、この「抗議」がなかったら、「コンクリート・ゲリラ編」の次に「魔像の十字路編」が来ていたと思う。「野生の七人編」「バイク騎士事件編」ともに闇の政治権力が絡んでいるし、「組織」のエージェント遠井弁護士も登場する。日本を乗っ取りを企む、この謎の「組織」は、秘熊の勢力と見るのが妥当だ。ワイルドの連載初期段階から「魔像の十字路編」すなわち「権力者との戦い」という、警察組織としては究極の状況設定が構想されていたと思われる。「魔像の十字路編」は、以後約10年「お預け」となるのだ。

ワイルド7が日本漫画史に残る長寿シリーズに発展したきっかけは、この「コンクリート・ゲリラ編」にある。またこれから述べるように、望月作品が漫画でも劇画でもない独自の作風を持つに至ったのもこの「コンクリート・ゲリラ編」からだと思う。以上2つの理由で、このエピソードが「ワイルド7の十字路」だと、僕は位置づけている。

望月先生のキャラクターの絵は、漫画の記号性を残している。そういう意味では「漫画」である。しかし、苛烈なストーリー展開、緻密を極めたメカニック、背景等の「脇」の描写は劇画を凌駕するレベルに達している。そして、その後のアニメーターたちにも大きな影響を与えたと思われる斬新な「動き」。これはキャラクターのパース、ポージング、コマ割り(カット割り)、破壊、流体等の動きの描写からもたらされるものだ。これらが総合されて、漫画でも劇画でもない、先生独自の世界が展開されているのだ。

こうした絵的な部分での独自性はすでに発揮されていたが、この「コンクリート・ゲリラ編」において、ストーリー面においても、劇画を超える表現がなされたと思う。その1つ目は、隊員2名の殉職の描写である。警察ものにおいて殉職シーンはおなじみのものであるが、チャーシューと世界のそれは、従来の作品とは一線を画すものだ。

初の殉職者であるチャーシューは、その死に際して、恐怖の表情を浮かべることも、悲鳴を上げることも叶わなかった。もちろん英雄的な死ではない。強大な敵にあっさりと「始末」されてしまうのだ。事故に偽装されて。そのあまりに呆気ない死に方、そして高熱のアスファルトを全身に浴びての焼死という壮絶さが、極めて衝撃的である。非常にあっさりとした展開だっただけに、読者への衝撃は大きかった。

そして世界。こちらはチャーシューとは正反対に、死への恐怖をたっぷりと味わう。苛烈な拷問に耐え切っての死。自らの肉体をメモ用紙がわりに使って。その死は非常に英雄的であるが、拷問を受ける彼の姿を、ゲリラに潜入していたヘボピーは眼前で目撃しながらも救うことは出来なかった。見殺しにしたのである。飛葉を始めとする仲間たちも助けに来ることは出来なかった。ヘボピーは自らの任務のために、耐えたのだ。この苛烈さは、少年漫画のレベルを完全に超えている。

2つ目は「拷問の描写」である。コンクリート・ゲリラ内で「大尉」と呼ばれる人物。組織への橋渡し役の大六タクシー13号車のドライバーであり、「拷問が何よりも楽しみ」という仲間内からも恐れられ嫌われる悪漢であるが、かつて少年漫画でここまで残忍なキャラクターが登場したことがあるだろうか? この男の一番イヤなところは、骨折かヒビかを確実に蹴り分けることが出来るというところだ。「人の痛め方を熟知したプロ」。こんな奴が漫画に出て来たことはないと思うし、以後の「拷問描写の第一人者=望月三起也」という評価のスタートになった(とんでもない)名キャラクターだと思う。

3つ目はゲリラハンター・ユキがらみの描写だ。ユキの悲惨極まりない過去話。そして、そのユキを任務として処刑しようとする飛葉の冷酷極まりない対応。「お前さんを射殺したらもうヒマだから、命乞いなら聞いてやる」とか「抵抗すると狙いが外れて苦しむだけだぜ」などと言っているが、これが少年誌の主人公の言うセリフだろうか? 間一髪で飛葉の銃口から逃れたユキだが、恋人の刑事に利用されたあげくに裏切られ、銃撃を受ける。こうしたストーリー展開は、もはや少年誌の世界ではない(キングの編集者は内容にはまったく干渉しないのか?)。

このように「コンクリート・ゲリラ編」は、ストーリー面で望月カラーが確立し、内容的に少年誌の枠を完全に超越した、画期的なエピソードだと思う。


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ぶんか社文庫判「コンクリート・ゲリラ」


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ワイルド7序章〜誘拐の掟

仕事のうえじゃ 一目おくさ
とても かなわねえ
だが 私生活は見ちゃいられねえなあ...
(オヤブン/誘拐の掟)

「誘拐の掟」の冒頭でのオヤブンのセリフだが、「最高の戦闘力を持つが私生活(特に恋愛)はまるでダメ」という飛葉のプライベートの一面と、そんな飛葉を可愛く思い色々とおせっかいを焼きたがるオヤブン(いつも志乃ベエにモップで追われる)と両国...という、作品の根幹を成すキャラクターの構図が完成したシーンである。

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「地獄から来た警察」と恐れられるワイルド7のクールなリーダーが、チーム最年少(16歳らしい)で好きな娘に話しかけられない程のオクテ...という、極端な二面性を持ったキャラクターなのである。何とも大胆な設定だが、ワイルド7が作品として大成功したのは、この「ハードボイルドだが少年」という飛葉の愛すべきキャラクター設定によるところが大きい。これはその設定が確立したシーンとして重要だ。同時に飛葉をはやし立てるオヤブンと両国というキャラクターも確立した。2人は「ボケ役」として、作者が作中で非常に動かしやすいキャラになったと思う。このお陰で彼らは最後まで生き残ることになる。

この「誘拐の掟」の冒頭シーン(VONから横浜方面へのデート)は、飛葉のキャラクターが確立し、ワイルドへ戻ることを決意した(真のワイルド7の誕生)という点で、全体の「序章」に位置づけられる重要なパートだと思う。そして、ここでチャーシューと世界の殉職が決まったように思う。

リーダー飛葉と、彼のおせっかいを焼く「ボケ役」のオヤブンと両国。八百とヘボピーは戦闘能力も高いし、バイクも個性的。しかし、チャーシューと世界はこれほどの個性を獲得できなかった。

世界はバイクの教官としてワイルドの立ち上げに貢献し、また「俺たちは命令を正確に実行するだけのスペシャリスト集団であり、<仲間>じゃねぇ」という立場の代表者でもあった(この設定の根拠には「最年長」というのもあるのだろう)。しかし、訓練期間もとうに終わり、同志的な結びつきを持つ新生ワイルド7となった今、「世界の役割は終わった」と作者は考えたのだろう。チャーシューの場合は、「ボケ役」としてオヤブンと両国のキャラが確立してしまった以上、持って行き場がなくなってしまったのではないだろうか。

「誘拐の掟」において、チームとしてのワイルド7も、キャラクターも確立した。ここからようやくワイルドの真の物語が始まるのだが....次回作は「コンクリート・ゲリラ」なのである。

「コンクリート・ゲリラ」は日本を内戦状態に持ち込もうとする強力な準軍事組織であり、これまでワイルドが相手にしてきた犯罪組織とはスケールも性格もまったく異なる最強・最凶の敵。望月先生は、ようやく完成したワイルド7をこの難敵にぶつけ、さっそく壊しにかかるのだ。「生が最も輝くのは死に直面した時」「常に前へ、新しいものへ」という先生の漫画制作ポリシーが遺憾なく、そして容赦なく発揮されるストーリー展開なのだ。

ぶんか社文庫判ワイルド7「誘拐の掟」

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ワイルド7序章〜バイク騎士事件

バイク騎士事件のこのセリフ、何度見ても感動するネェ。

結果は問題じゃないわ!!
正しいとおもったら すぐ行動にうつす!!
それが男じゃないこと
(イコ/バイク騎士事件)

まさにイコのいうとおりだぜ...
黒松みたいなゴキブリは たたきつぶすべきだ!!
隊長の草波がなんといおうと....
世間がなんといおうと....
おれたちが どうなろうとなっ!!
(飛葉/バイク騎士事件)

「おれたちが どうなろうとなっ!!」が何とも素晴らしい。本来個人主義者のはずのワルが、義や志のために戦う戦士になった。スペシャリスト集団が、同志の集団に脱皮したわけだ。
イコのセリフ、「結果よりも行動」にもグッと来る。ワイルド7のテーマのひとつだよね、これ。そして新選組を感じさせる部分でもある。

この頃の先生は「女性を可愛く描けない、描き分けできない」という悪評と戦っている時期で、イコを魅力的に描こうと一生懸命試行錯誤している。それが伺えるシーンでもあり、作家としても重要な時期だったと思う。

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ワイルド7は「ならず者部隊」の系譜に属する作品だが、組織者が意図しない性格の集団に「成長」してしまった。そこが個性的で面白いところだと思う。一般的にこうした組織の組織者は経験豊富な年長のベテランで、彼の思ったとおりの組織が完成するものだ。しかしワイルドの場合、草波隊長より年長と思われる世界のような隊員もいる(草波のことを「だんな」と呼んだりする)し、この頃の草波はまだ完全ではない。

草波が「みごとに わたしの 待望の組織はできた!!」と叫ぶシーンから物語はスタートするが、そこから隊員の命令違反、隊長自身の命令違反(敵に取り込まれた)という「試練」を経て、隊長の単なる道具ではない、草波も含め同志的な結びつきを持った集団に成長する。そして、元ワルの連中で構成された同志的な結びつきを持つ集団は、実戦に強いのである。こういう部分がいかにも新選組的で、好きな人にはグッと来るんだよなぁ。また、こういうワイルドにグッと来るから立場からすると、「同志集団」とは性格が異なる「傭兵集団」はワイルドじゃない...と思ってしまうのだ。(「義勇兵的な傭兵」というものもあるが)

ぶんか社文庫判ワイルド7「バイク騎士事件」


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ワイルド7の「序章」...チームが完成するまで

ワイルド7は、いわゆる「ならず者部隊」の系譜に属する作品である。収監され抑圧された状態にある「ならず者」たちが、自由と引き換えに、困難だが価値のある作戦に駆り出される...というストーリーの類型がある。悪人(ワル)は一般的に利己的な個人主義者である。誰からも期待されず、誰を頼りにもせず、また、他人を裏切ったり、裏切られるなどして犯罪に堕ちていった者たち。こうした自分勝手な連中が、自分の自由のためとはいえ、崇高なミッション遂行のために、最も大切な自らの命を懸けて戦う道を選ぶ。そして自己犠牲の精神を発揮して斃れていく....。これがこのタイプの作品の魅力である。

こうした作品のキモは、「チーム」が完成するまでの過程にある。利己的で個人主義者のワルたちが、ひとつの目的を共有し、お互いを信頼しあう「チーム」の一員に成長する。ひとつのチームとして機能するようになる。そこをうまく描ければ後半の「作戦」シーンが一気に盛り上がる。結束さえすれば、ワルの方が大きなパワーを発揮するものなのだ。その根拠は明確ではないが、創作作品の世界ではそういうことになっている。この設定にはなぜか強い説得力があるのだ。近年の少年マンガで、このパターンが大成功した例は間違いなく「スラムダンク」だろう。そして、このパターンの先駆者であり、最も代表的な作品はワイルド7なのである。

第1話「野性の7人」のショッキングな冒頭シーン。リーダー飛葉の号令のもと、一糸乱れぬ連携で、凶悪な銀行強盗犯を速やかに「退治」する7人の姿を見て、隊長・草波は叫ぶ。

できた!!
みごとに わたしの 待望の組織はできた!!

(草波/野生の7人)

しかし、この時のワイルドは、まだ草波の単なる手兵であり、「犯罪者」という弱みを握られたスペシャリスト集団に過ぎなかった。草波はそのような組織を望んでいたのだが...。

この後、ワイルドと草波は、M.Cプロ事件バイク騎士事件という2つの難事件に直面する。その戦いの過程で彼らは怒り、苦しみ、悩み、命令違反を犯し、ぶつかり合う。そして、「真のチーム」になって行く。その有り様が、実にしっかりと描かれているのが素晴らしいのである。

強いチームに必須の条件とは何だろうか。スペシャリストの寄せ集めとの違いは何だろう...?
ひとつは、お互いを信頼しあっていること。「友情」という奴だ。
そしてもうひとつは、「志」を共有していること。チームの「志」が存在し、メンバーがそれを共有していることだ。
この2つがあれば、メンバーはミッション遂行のために、死をも恐れぬ行動を取ることができる。隊長の命令があってもなくても...。

最初の命令違反は飛葉だ。M.Cプロの大岩雷太とのココナッツ・ゲームの中断と、単独でのM.Cプロ本社ビル潜入である。自分の失敗を認め、それを自ら解決しようとする自発的な行動だった。
次の命令違反は、飛葉を除く6人だ。要塞のようなビル内で窮地に陥っている飛葉を見捨ててデモの鎮圧へ向かえという命令が下るが、ヘボピーを筆頭にUターン、飛葉の救援に向かう。
その次は5人だ。入院中の八百とバイク騎士に締め上げられちゃったチャーシューが不参加だったが、この行動はワイルド全員の総意と見て良いだろう。テレビ局を支配下に置き、国民の意識をコントロールしようと目論むテレビ局幹部の黒松に対して、恩人・成沢の弱みを持つ草波は毅然とした対応が出来ない。悶々とする飛葉たちにイコが叫ぶ。

結果は問題じゃないわ!!
正しいとおもったら すぐ行動にうつす!!
それが男じゃないこと

(イコ/バイク騎士事件)

こんな説教臭いところに居られるか、などと言いながら別々に店を出る5人。その後、ハイウェイを軽井沢に向かう飛葉の姿があった。

まさにイコのいうとおりだぜ...
黒松みたいなゴキブリは たたきつぶすべきだ!!
隊長の草波がなんといおうと....
世間がなんといおうと....
おれたちが どうなろうとなっ!!

(飛葉/バイク騎士事件)

やがてオヤブンが、続いてヘボピーが、世界が、両国が飛葉に追い付く。

どうやら 黒松をつるしあげたいってところで
ワイルド7の意見は いっちしたらしいぜ...

(飛葉/バイク騎士事件)

飛葉救援の命令違反では、「友情」が命令に優先された。
黒松退治の命令違反(命令もないのに退治に出動)では、7人独自の「志」が明確化し、それが命令に優先された。
ここにおいて、ワイルドの7人は「友情バカ」となり、「命令があろうが無かろうが、悪は許さない」という「志」(自らの行動原理)を獲得する。ここに真のワイルド7が誕生したのである。

いや、正確には、こうしたワイルドの変化を草波が受け容れ、一度はバッチを叩き返した飛葉がワイルド復帰を決めた「誘拐の掟」の冒頭部分が、その誕生の瞬間になる。

バイク騎士事件の解決を高く評価した成沢検事だが、あまりにも反抗的だった7人に代わり、100人規模の新たな部隊を創設するプランを草波に語る。それに対して草波は、

しかし隊員が100人でも 前の7人には
とても かなわないでしょう....
あの7人は わたしが苦労して何千人の中から集めた...
えりすぐれた部下たちだった...いやわたしの仲間だった

(草波/誘拐の掟)

草波の意識は、7人を「仲間」と呼ぶところまで変化している。2つの戦いの過程でワイルドの7人の考え方も変わったし、隊長の考え方も変わったのだ。ゆうれい将軍のハイジャック事件に直面した草波が、飛葉に訴える。

このバッジ....
わたしのためじゃなく...
97人の善良な市民のため...
ぜひ もう一ど つけてくれ!!

一度はワイルドからの離脱を決意した飛葉だが、昔の縄張り横浜(ハマ)にはもう彼の居場所はなかった。自分の帰る場所はワイルドしかないことを自覚する飛葉。

横浜(ハマ)は おれを必要としねえが...
あんたは おれを 必要なんだろう?

(誘拐の掟)

これが真のワイルド7誕生の瞬間である。

命令違反によってチームは結束し、新しいステージに上がった。そしてそれは、6台の、あるいは5台のバイクの爆走シーンで表現されている。そして彼らのゴーグル、グラサンの陰にはキラリと輝くものがあった。これはもう、男の胸が最高にアツくなる名シーンである。バイクは西部劇の馬の代用であり、1人に1台。そして操縦者の顔が見える。しかしゴーグル、グラサンで男の涙は隠されるのだ。クルマではこういう表現は決してうまく出来ない。このシーンはバイクだからこそ感動的に描けるのであり、これこそがワイルド7なのだ。


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ぶんか社文庫判ワイルド7「野生の7人」

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