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2005年6月29日 (水)

映画「宇宙戦争」観戦記

uchusensou練馬にある某有名ラーメン店(元祖札幌や)に寄った後、適当にクルマを走らせていると「Now Showing!!」の立て看板が。おー、「宇宙戦争」は今日からか。というわけでUターン。としまえんに隣接した「ユナイテッド・シネマ」だったのが、館内BGMはスターウォーズ一色。すでに勝負あったような感じもするが、まったくテイストが違う作品だから両方観るのも良いと思う。僕もそうするつもり。

僕はH.G.ウェルズの原作(彼のSF作品は全部)が非常に好きなので楽しみであり不安でもあったのだが、これはまったくの杞憂だった。原作のテイスト、エッセンスを活かした素晴らしい作品だったと思う。スピルバーグ+クルーズによる前作「マイノリティ・リポート」とはそこが大きく違う。

「インディペンデンス・デイ」「マーズ・アタック!」があったというのに、何で今頃地球侵略もの?という向きも多かったと思うが(僕もそう)、この古典(前々世紀の1898年発表!)がなぜ今も読み継がれているのか。そのツボを押さえたところが良かったのだと思う。その「ツボ」とは、「1人称視点の徹底したリアリズム」だと思う。圧倒的な力の前に翻弄される人間。時代性はないんだよね。逆に言えば、時代が変わっても人間性はそんなに変わっていないということでもある...。

この作品は一種の「架空戦記」「if 戦記」とも言えるのだが、「if」は「超兵器を持った異星人が侵略して来た」という一点だけで、この未曾有の災難に地球人たちはどう行動するのかがストーリーの焦点となる。当時の軍事力、情報伝達、交通のレベルの中で、人々はどう対応するのか。19世紀のイギリスでは兵器と言えば大砲と機関銃、戦艦しかなく、戦車や飛行機はない。ラジオはまだないから情報は新聞のみ。自動車はまだ贅沢品で馬車がほとんどだ。

19世紀のトライポッド(3本脚の巨大戦闘マシーン)は、偶然命中した砲弾にコクピットを貫かれ、蒸気船の戦艦の体当たり攻撃に崩れ落ちたが、21世紀のトライポッドには防御シールドがあり、一切の攻撃を受け付けない。さらにあらゆる電子機器を破壊する電磁波パルス兵器を持っている。時代に合わせて(?)、バージョンアップを果たしているのだ。電気は停電、電話は使えず、テレビも見れない。車はすべて動かない。この映画の人類は原作当時と同じレベルになってしまっているのだ!自分の見るもの聞くものしか信じられない。自分だけが頼り。さぁ、どうする?

この映画は、いまだに国土が戦場になったことのない米国を舞台にした戦争映画としても、またヒーローやヒーロー怪獣が出て来ない怪獣映画としても観ることができるし、災害パニック映画や家族の絆を描いた作品としても観ることができる。非常に多角的に楽しめると思う。

初めて「日本人」という言葉を使ったのは坂本龍馬、そして初めて「地球人」という言葉を使ったのはH.G.ウェルズだという話を聞いたことがある。自分たち以外の存在(世界)を想定することで、初めて自分たちの存在(世界)を認識することができるというわけだ。原題はTHE WAR OF THE WORLDS(世界間の戦争)。

「種としての人類」の自覚に目覚めて欲しい。ヨーロッパ列強が植民地を巡って争っていた当時の世をウェルズを憂えてこの作品を書いたと思うが、スピルバーグは911以後の分裂した世界を憂いたのだろうと思う。当時と今では、何が変わって何が変わっていないのだろうか...。国連主義者のウェルズが今の世を見たらどう思うだろう。

トライポッドはデザイン、動きともにかなり原作のイメージに忠実だ。巨大兵器が生物のように歩く。「声」を発する。音もなく全てを灰にするするビーム兵器。この不気味さ、圧倒的な恐怖感といったら...。特に触手がイヤだ。人をすくいあげ、背中のバスケットに入れていく。怪獣ファンの間で人間を食べる怪獣が一番怖いと言う話が良く出る。地球上の全生物の上に君臨する絶対的な捕食者である人間が、逃げ惑い捕われ、喰われる(映画では肥料にされているようだったが)。捕食者から被食者への転落。これは人間が潜在的に持っている恐怖心のひとつだと思う。

逆にエイリアンのイメージは原作とかなり違う。原作(火星人)はタコのような外観で無数の触手を持っていて、脳と肺、腕、感覚器官以外(消化器官など)はみんな退化してしまった、という設定だ。タコは西欧(地中海沿岸以外)では「悪魔の魚」として忌み嫌われていて生理的に受け付けないところがあるのだと思うが、まったく異質な存在のイメージとしてタコを持ってきたウェルズのセンスはスゴいと思う。

原作の火星人は「進化の果ての退化、退廃」を描いた「タイム・マシン」の作者らしく、「未来の人類」として描かれている。地球より早く生命が誕生し繁栄した火星(地球の先輩)だが、寒冷化が進み寿命は尽きかけている。彼らはやむにやまれぬ事情から地球侵略を意図したのだ。地球に侵攻し細菌によって全滅したのは調査と橋頭堡作りを目的とした先遣隊だったと思われる。

原作では火星人の行為を倫理的な面から非難していない(自然淘汰の一種と見ている)ので火星人に感情移入することも可能だが、映画にはこれがない。火星人というアイディアを時代的に使えなかったと思うし、あれもこれも詰め込めなかったのだろうが、深みが削がれてしまったのは少々残念な気がする。

原作では火星人たちは円筒型のロケットを打ち込み、トライポッドはそこから出現するのだが、この映画ではトライポッドは古くから地底深くに埋められ、隠されていたように描かれている。なぜこのように改変したのだろう?
これまで怪獣映画で描かれてきた異星からの侵略のイメージ、侵略兵器として使われる怪獣の出現のイメージ(落下する隕石、地面への激突、クレーターから立ち上る煙、その中から出現する宇宙怪獣!)に原作の影響があまりに大きく、逆に陳腐化してしまったためではないだろうか。たとえば、ウルトラQの「ガラモン」みたいに。

オタク的視点から見ると、トライポッドって巨大ロボットの元祖ではないか?という気がする。「知的生命体が搭乗して操縦する巨大な生物型の超兵器」だもんなぁ..。原作ではビームガンや毒ガス発射機を持ち替えて使用しているし。原作にはわずかかだが「飛行マシーン」が出て来る。飛行機が存在していない時代に「航空機による都市爆撃」を想定するセンスはものすごい。

ミリタリーマニアの視点から見ると、20世紀型の戦争を完全に描いてみせた作品ということになる。原作発表当時の戦争は現在のように「銃後」がない戦争ではなかった。都市に対する大量破壊兵器による無差別攻撃、それによる難民の大量発生。映画でも当然これが描かれているし、こうした20世紀型の戦争に一般市民が巻き込まれたことがない米国民には、ひときわインパクトが大きいと思う。スピルバーグ監督の製作意図もここにあると思うが、どうだろう。

ジャンボジェットの墜落現場のセットにはあっけにとられた。あんな巨大で精密なセットはあり得るのか。本物を1機破壊したとしか思えない。特にストーリー上必要なシーンではないはずだが、911テロのリアルなイメージを観客に見せたい(体験させたい)いうことなのだろう。でも、911直後にはできなかったろうなぁ。

フェリーがトライポッドに襲われるシーンは原作にもあるのだが、超コワい。迫るトライポッドに慌てて出航しようとする船長、しがみつく群衆。堪え切れず海中に没する人たち。転覆する船から落下、沈んでいくクルマにも人が...。この辺の非常な細やかな演出がスピルバーグ的だと思うのだが、今回はダークな方面に炸裂している。アミスタッドという作品にも海中に人が落ちて行くシーンがあって非常に印象的だったが、この監督は「恐怖」の本質を良く分かっているなぁとつくづく思った。

スピルバーグ作品は全部観た訳じゃないけど、今回の作品は初期の「激突!」「ジョーズ」の頃に戻ったようでシンプルで分りやすく、大変好感が持てた。妙な(?)メッセージ性もないし。何よりも原作を尊重してくれたことが嬉しかった。SF小説ファンにもお勧めできる。

こぼれ話
スタッフロールに「SAILOR MOON BGM」とあったのだが、一体どのシーンで使われていたのだろうか。子供がテレビを見ていたシーン?

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