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2008年8月16日 (土)

新選組の「志」...松浦玲著「新選組」を素材に(1)

松浦玲著「新選組」岩波新書(2003年)を題材に新選組の志の変遷について書いてみたいと思う。本書は数多ある新選組本の中で、日本近代政治史、政治思想史の研究者の立場から書かれた、恐らく唯一のものと思われる。副題として「近藤勇の思想と行動」とでも付けると、この本の性格を捉えやすくなると思う。

局長近藤勇は多摩の後援者たちに長文の手紙をたくさん書いた。京都でいま何をしているのか、何をしたいのかを伝えることを、地元後援者への義務と考えていたようである。この手紙を当時の政治情勢と対照させて行くのだが、新選組の思想と行動を明らかにするには、もっともオーソドックスと思われるこの手法を採用した書物はこれまでなかった。小説(読み物)や、各隊士のキャラクター(土方歳三や沖田総司に偏っている)を掘り下げるための研究は行われてきたが、「新選組」自体の研究、代表者である近藤勇の研究は疎かにされて来たのだ。

新選組は「有志の集団、思想的結社」であり(途中で変質せざるを得なくなるが)、「京の治安維持活動は副業」だった...と著者は位置づける。見廻組とはまったく異なる性格を持った組織ということだ。幕府側に軸足を持ちながらも尊王攘夷を求めて行くのが「志」であり、そもそも浪士組に参加した理由でもある。その「志」の達成のためには政治活動(内外への働きかけ)も必要であり、それには一定の独立性が必要となる。新選組は幕臣取り立てを辞退したり(「攘夷実行までは辞退したい」文久三年十月)、見廻組のように上役を据えられることを回避して来た。また、元治元年五月に将軍家茂が攘夷実行を命じないで京から帰府しようとする時、「浪士組募集に際しての約束を守らないなら我々を解散してくれ」と「離縁請求」を突きつけたりしている。「我々は尽忠報国の志を持って応募したのであって、京都市中の見回りは本意のことではない」のである。これはミッション(目的、使命)を持った組織だからこそのこだわりである。

近藤の「志」とは何だろうか?当初それは「尊王攘夷」であり、浪士たちの用語で「尊王攘夷」は「尽忠報国」とほぼ同義だったと著者は書いている。浪士組募集時の応募資格に「尽忠報国の志が厚い者」とあり、「尽忠報国」はその後の新選組のスローガンともなって行く。新選組が「尊王攘夷」を思想として持っていたと書くと違和感があるかもしれないが、そもそも幕府が朝廷から政務を委任されているという関係だから、武士はみな「尊王」であり、当時の孝明天皇が熱烈な攘夷論者である以上、「尊王攘夷」は当然なのだ。近藤たちと、当時の長州や土佐、公卿の過激派は「攘夷は可能であり、将軍が魁となって断行すべき」という点で一致していた。しかし実務者である幕府は攘夷の不可能性を実感しており、攘夷実行をあの手この手で伸ばす...という非常にややこしい状況なのだ。

この「ややこしい状況」が、近藤たちの「志」を変えざるを得ない状況に追い込んでいく。「尽忠報国」の「国」とは何を指すのか。そのあたりも変化せざるを得なくなってくる。「志」、つまり「結党の理念」が揺らぐということは、組織を維持していくための「軸」が揺らぐことを意味している。「結社」にとってこれは危機といえる。(つづく)

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